2011年9月27日火曜日

ホスピス転院への勧め

輸血した後、とくに昨日はとても体調が良かったらしく、先に来ていた妹ともずいぶん長く話をしていたようです。
父も連れて行ってにぎやかになったのが嬉しくて、興奮してしまったためか、今日は吐き気がして気分が悪いとのこと。
「今日は来なくていいよ」と言われたものの、やっぱりマッサージをしに行こうかと迷っていると、主治医から話があるとのことで、結局行くことに。
主治医を待つ間、かんたんな足のマッサージでずいぶんと楽になったようなので、行って良かったのですが…。

恐れていた通り、抗がん剤はやはり無理だろうとのこと。ひそかに癌研の電話相談に聞こうと思っていた出血コントロールのためのバイパス手術も、主治医は再考を重ねていたそうで、結果、やはり止めた方が良いだろうと言う結論に。母も治らないなら手術はしたくないという気持ちなので、しぶしぶあきらめました。

そして打つ手がなくなった今、今後の方針についての話。

またもや延命拒否の話を確認されましたが、輸血についてはどうしても「無駄」という言葉を母には言えません。むしろ母はめまいがひどいときには「輸血して欲しい」と言っていたくらいなので。そのことを今日医師に伝えるべきだったと、今後悔しています。

本題はこのまま入院を継続して緩和ケア病棟、つまりホスピスのある病院に転院するか、退院して昨日母が決めた荻窪病院に紹介状を持って行くかどちらかになるということ。
在宅でがんばってみたけれど、やはり何かあった時の対応ができないので…と、主治医はホスピスへの転院を勧めました。
じつは母も、最後は在宅より病院が良いと希望しています。
が、昨日まで、「まだ早いけれど今のうちに考えておこうね」と妹にも言われていた最期のステップにもう足をかけることになると思うと、やはりわかってはいてもショックです。でも、母こそ、いろいろと思いを巡らしているはず。
「身体が疲れた」と言っていたし、死を怖いという気持ちはあまりないそうなのですが、後に残す私たちの心配ばかりしています。

ホスピスとは言ってもすぐに入れるわけでもなさそうで、今の病院で待機している間に急変するといきなり延命拒否の話を否応なくつきつけられる。
恐ろしく忙しい人なので、主治医に手紙を書こうかと思っています。

ただでさえ寝不足なのに、ホスピスをネットで調べたりして、またこんな時間に。睡眠不足は当分続きそうです。

2011年9月24日土曜日

TS-1、再出血、そして再入院

結局あの日の診察で、腫瘍マーカーはじめ血液検査の数値は入院前と同じレベルに戻ったとのことで、経口抗がん剤TS-1を始めることになりました。
薬の取り寄せやかかりつけの薬局の勧めで(TS-1をいきなり使うことを心配してくれた)診療所の診察を受けるなどして、2日ほど遅れて服薬開始。最初は吐き気があり、便の色が多少黒みがかっていたものの、ここ数日はめまいやだるさ以外は、食欲も少し戻り、体調自体はわりあい良かったのですが…。今日はめまいがひどくなり、夕方6時半頃、トイレから立てなくなってしまいました。今日3度目の便が、下痢でチョコレート色をしていたとのこと。
急きょ車でN病院へ。
貧血が悪化しており、緊急入院することになりました。

TS-1を始めるにあたり、事前に「再出血の可能性あり」との話は聞いていたのですが、他の副作用がそれほどひどくないため、少し期待していたところ。当直医の説明では、この連休中に急変の可能性もあるとのことです。

がんそものもによってなくなる前に失血死する怖れがあるということです。
その他の症状は目立ったものがないため、ひたすら悔しい。

日本対がん協会の老先生の説明でわかってはいたのですが、やっぱり悔しい。
なんとか血が止まって欲しい。
明日はKちゃんがうちにきてくれる予定だったのが、急きょふたりで病院へ行くことになりました。

血が止まりますように。
ママの身体、がんばって。

2011年9月13日火曜日

診察日

あれからはかばかしい進展もなく、じわじわと体力を落としているように見える母の状態に不安を感じつつ、私だけが慌ただしく過ごしています。

11日、日曜日はまたKちゃんが来てくれて、なんと、海鮮入りトマトリゾットとカボチャのサラダ、ショウガたっぷりのたまねぎスープという献立に加えて、冷凍保存用に手づくり餃子まで作ってくれました! いつの間にか料理上手になっていたKちゃん。平日は出張続きで外食に飽きてしまったそうです。私の負担を減らすために、翌日も出勤なのに日曜午後をまるまるつぶしてくれました。感謝です!

母は胃自体は痛みを感じないものの、げっぷを出さないと膨満感があって食べられない様子。加えて、ガスがたまってお腹が痛くなったり、下痢をしたり、一昨々日はどうも胃から出血があったらしく便が黒みを帯びていたと。昨夜は背中が痛いとのことで、マッサージをしました。どこかが不調でそれが緩和するとまた別のどこかが痛んだり苦しかったり…。

じわじわとがん細胞が勢力を増しているように思えて、始められるものなら一刻も早く抗がん剤を始めたい。でも、そのための体力があるのかどうか…。
すべては今日の診察で決まります。

いずれにしても転院の希望は主治医にぶつけてみるしかありません。
それで抗がん剤治療がまた遅くなるようなことがあるのでは、ということが最大の不安です。
当たってくだけるしかないのはわかっているのですが。

2011年9月8日木曜日

一進一退

なんとか母に体力をつけてもらいたいのだけれど、胃のムカつき、そして何より出血が怖くて無理をさせられない毎日です。

5日、日曜日は冷凍室にあったサワラをフライパンにほんのりガーリックで香りづけしたオリーブオイルで焼き、同じく冷凍室にあったジェノベーゼソースを添えてメインディッシュに。母の分はキツネ色の焦げ目のついた皮や骨を外して、ひとまわり小さくして出しました。
付け合わせにズッキーニと自家製プチトマトのバター蒸し。副菜は何だったろう?
忘れてしまったけれど、「美味しい、美味しい」とほとんど完食してくれたのがとてもうれしかったのです。
が、翌日、すっかり調子を落としてしまい、朝、昼、晩とごく少量しか食べられませんでした。

出血がひどくなったのでは…と恐れながらも、しかし、なんとか食べてもらわなければ体力も落ち、やせてゆく一方です。

そこで5日、月曜日の晩は、ほんの一切れずつ魚屋さんで買った卵焼きと昆布巻き、キュウリの薄切りしそドレッシング和えなどを前菜風に盛ってメインに。

昨日、6日は西荻に買い物に出て、西友や無農薬八百屋のナモ商会でいろいろと物色。冷や奴やごま豆腐のようなものなら食べられそうという母のために、美味しそうな絹ごし豆腐とごま豆腐を探したのですが…なかなかこれはと思うものがなく、昔よく行ったスーパーに行ってみたら、有名な『男前豆腐』を発見。ごま豆腐の方はどうということのないものでしたが、男前の絹ごしと合わせて、2色の豆腐をメインディッシュにしました。副菜は湯むきトマトだったかな?
悩ましいのは、父は最近、肉を食べたがるため、別メニューを出さなくてはならないところ。おまけに昼と晩は必ず漬け物を欲しがるし、佃煮は保存用の器から直箸でとってしまうので(何度注意しても止めない!)父の分だけ取り分けて…と、ひとつひとつはどんなに手を抜いても、配膳に手がかかることといったら!

決して調子が良いわけではなかった母が、2色豆腐は完食してくれたので、今日も続けて同じ主菜。父には冷凍庫にあった牛肉と焼き肉のたれで焼き肉、副菜として絹ごしのみの冷や奴を(父はごま豆腐が好きではないため…あぁ、ややこしい!)。野菜が足りないので、共通の副菜として、焼きナスのもずく酢和え。汁ものは昨日のタマネギのお吸い物の残りに、作り置きのだし汁を合わせてワカメを入れて、うまみたっぷりのお吸い物に。

母の勧めで、水曜夜の英語教室だけは続けているので、以上を慌ただしく用意して盛りつけ、配膳し、声をかけ、外出。
帰りに買い物をして家についたら、ふたりとも完食してくれていたので、苦心のかいがありました!

それにしても、どうして人間は毎日毎日1日3食も食べなくちゃならないんだろう?なんて、時折うんざりしてきます。特に昼ご飯の支度にうんざりしていた母の気持ちがわかる今日この頃。正直、母と二人だったらずっと楽なんですが。

明日は、父が嫌いなので母はずっと遠慮していたサンドウィッチを作ります。嫌なら父は食べなくてもよろしい!

2011年9月4日日曜日

日常

少しずつ今までとは違う形だけれど日常が戻ってきた感じ。
まだまだ私の手際も悪く、つい放置されがちで時折わがままを発揮してしまう父のおかげもあって忙しいけれど、この日々を大切に噛みしめて暮らしたい。
ああ、もっともっと母にしてあげたいこと、作って食べさせてあげたいものがたくさんあるのに。

昨日は激務の中の貴重な週末を割いてKちゃんが来てくれました。
母の大好物の里芋や、自作のバナナケーキ、出張のお土産の刺身こんにゃく(重くて大変だったでしょうに!)まで携えて。
母の病室からもれるふたりの楽しそうな話し声を聞きながらの炊事は、気持ちも明るくなります。父はひとりでリビングでテレビを見ていて、寂しかっただろうけれど、ここは我慢してもらうしかありません。
夕食はわが家の定番おもてなしメニューを私の負担を減らすため特別に母が提案。豪華なバラちらしの出前です。とはいえお吸い物や付け合わせもやはり欲しいわけで、さらに父は必ずお漬け物を欲しがるしで、それなりの手間はかかりました。
夜はKちゃんを車で送って10時半頃帰宅。


明日はいよいよセカンドオピニオン、そしてKちゃんも母も気持ちが傾いているK病院への転院のための模索を始めます。

●再出血の際の延命拒否について。輸血は限度があるにしても、止血の努力はしてもらえないのかどうか。たとえ10日程度の延命でも家族には貴重な時間だということ。
●もう少し精神的な部分も含めて緩和ケアが欲しいこと。
●もちろん抗がん剤治療(TS-1)はやる意思があること。他にできそうなことがあればする意思があること。

このあたりを中心に話を聞くことができるのかどうか…。
午後はケアマネのNさんが来てくれます。

2011年9月3日土曜日

後悔

日本対がん協会の無料相談は、西銀座デパートの建物内とはいえ、入り口が裏に面していて(非常にわかり難い)狭いながらもとてもきれいで明るく、静か。こじんまりとしたブースに入ると、おじいちゃん先生が応対してくれました。元埼玉がんセンター総長で消化器内科が専門というこの方、石井先生に、内視鏡的止血や輸血による延命の拒否を求められたことに対する不信をぶつけてみました。

が、やはりこれはいたしかたないこと…という結論。
「輸血する医者もいますよ」とはいうものの、たいていの病院でも同じようなことを言われるだろうと。
そして、丁寧に出血のメカニズムを教えてくれました。
がんが大きくなるにつれ、がんそのものに血液が行き渡らなくなること。そのため壊死する部分が出てきて、いわばがんがくずれてゆくということ。そして、くずれることで血管がむき出しになってしまうこと。再出血した時には、そこらじゅうから血がにじみ出していて、もはやどこから出ているのかもわからなくなっているだろうこと。たとえ今回のように大きな血管をクリップしても、他からもじわじわと出血が続くということ。
「今もじわじわと出血していると思いますよ」とも。
仮に止血して、(貴重な血液を)どんどん輸血したとしても10日ほどしかもたないだろうとも。

退院、そして半年程度の延命のためながら抗がん剤治療を始めるという前向きな状況の中、目を背けていた過酷な事実を突きつけられました。

とはいえ、石井先生の語り口は終止同情的で、その10日間でも家族には貴重であることもよくわかってくださいました。母の年齢は、今の女性としてはまだ若いこと。まだまだ元気な年齢だということもわかってくださいましたし、「がんが全部消えてしまう薬があったらいいのにね」とも言ってくださった。
そのあたりだけでも、主治医とは大違いではあるのだけれど…。
とても母にそのまま言えるはずもなく。
そもそも延命拒否についての主治医の話を伝えたことをとても後悔しています。
どれだけ不安にしてしまったか。
明日Kちゃんが来てくれると言うので、チャンスを作って相談しようと思っています。

そんな思いを携帯メールで打ちながら荻窪へ戻り、枯渇しかけている食材の買い物。ついつい母のためにと、たくさん買ってしまい大荷物になりました。
それらを車に放り込み、ようやく病室へ。
すでに着替えて待っていた母は、やはり座っているのも疲れるようで、ベッドに寝ていました。

家に帰るとすでに18時をまわっていて、父はお腹が空いていたよう。
母が食べたいと言っていたので大奮発して買った鯛のお刺身を切り(母用には細かくして)、母にはレトルトのお粥、父には普通のごはん、私は昨日のそうめんの残り…と三者三様のメニューを大急ぎで用意。
母が「美味しい、美味しい」と、わずかな量の盛りつけながら完食してくれたことが、私にはなにより嬉しかった。

ケアマネのNさんが驚くべきスピードで手配してくれた介護ベッドも、病院の堅いベッドとは大違いでとても気に入ってくれたよう。入院中に長い人生で初めて飲んだという睡眠薬の効果もあって、ぐっすり寝入っているようです。

抗がん剤治療に向けて、体力をつけて、免疫力を少しでも上げて。
どんなに厳しい状況でも、光を探したいのです。

2011年9月2日金曜日

今日退院

昨日はヘルパーさんに昼食と病室の準備の手伝い、父の夕食までお願い。
夕方から病院へ行き、明日の退院時に着る服や履く靴(服は吐血して汚れ、担架に乗ったため靴は履いていなかったので)などを持ち込み。
従姉のMちゃんが来ていて、少し話をしました。

ヘルパーさんはじつに手際が良くて、ほんとうにありがたいことです。

今日も大忙し。
間もなく母のベッドが入り、父の昼食を用意したら西銀座へ。
がん無料相談室に思い切って電話したら、今日予約がとれたのです。
延命拒否を条件にした抗がん剤治療についての疑問と他に治療法がないかなどもできるだけ聞いてこようと思います。
http://www.jcancer.jp/advisement/mensetsu/

車で荻窪へ行き、駅周辺の駐車場へ入れ、終わったらまた荻窪に戻り、夕食の買い出し。
車に積んで病院へ。