2011年9月3日土曜日

後悔

日本対がん協会の無料相談は、西銀座デパートの建物内とはいえ、入り口が裏に面していて(非常にわかり難い)狭いながらもとてもきれいで明るく、静か。こじんまりとしたブースに入ると、おじいちゃん先生が応対してくれました。元埼玉がんセンター総長で消化器内科が専門というこの方、石井先生に、内視鏡的止血や輸血による延命の拒否を求められたことに対する不信をぶつけてみました。

が、やはりこれはいたしかたないこと…という結論。
「輸血する医者もいますよ」とはいうものの、たいていの病院でも同じようなことを言われるだろうと。
そして、丁寧に出血のメカニズムを教えてくれました。
がんが大きくなるにつれ、がんそのものに血液が行き渡らなくなること。そのため壊死する部分が出てきて、いわばがんがくずれてゆくということ。そして、くずれることで血管がむき出しになってしまうこと。再出血した時には、そこらじゅうから血がにじみ出していて、もはやどこから出ているのかもわからなくなっているだろうこと。たとえ今回のように大きな血管をクリップしても、他からもじわじわと出血が続くということ。
「今もじわじわと出血していると思いますよ」とも。
仮に止血して、(貴重な血液を)どんどん輸血したとしても10日ほどしかもたないだろうとも。

退院、そして半年程度の延命のためながら抗がん剤治療を始めるという前向きな状況の中、目を背けていた過酷な事実を突きつけられました。

とはいえ、石井先生の語り口は終止同情的で、その10日間でも家族には貴重であることもよくわかってくださいました。母の年齢は、今の女性としてはまだ若いこと。まだまだ元気な年齢だということもわかってくださいましたし、「がんが全部消えてしまう薬があったらいいのにね」とも言ってくださった。
そのあたりだけでも、主治医とは大違いではあるのだけれど…。
とても母にそのまま言えるはずもなく。
そもそも延命拒否についての主治医の話を伝えたことをとても後悔しています。
どれだけ不安にしてしまったか。
明日Kちゃんが来てくれると言うので、チャンスを作って相談しようと思っています。

そんな思いを携帯メールで打ちながら荻窪へ戻り、枯渇しかけている食材の買い物。ついつい母のためにと、たくさん買ってしまい大荷物になりました。
それらを車に放り込み、ようやく病室へ。
すでに着替えて待っていた母は、やはり座っているのも疲れるようで、ベッドに寝ていました。

家に帰るとすでに18時をまわっていて、父はお腹が空いていたよう。
母が食べたいと言っていたので大奮発して買った鯛のお刺身を切り(母用には細かくして)、母にはレトルトのお粥、父には普通のごはん、私は昨日のそうめんの残り…と三者三様のメニューを大急ぎで用意。
母が「美味しい、美味しい」と、わずかな量の盛りつけながら完食してくれたことが、私にはなにより嬉しかった。

ケアマネのNさんが驚くべきスピードで手配してくれた介護ベッドも、病院の堅いベッドとは大違いでとても気に入ってくれたよう。入院中に長い人生で初めて飲んだという睡眠薬の効果もあって、ぐっすり寝入っているようです。

抗がん剤治療に向けて、体力をつけて、免疫力を少しでも上げて。
どんなに厳しい状況でも、光を探したいのです。

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