2011年8月31日水曜日

不信

Kちゃんとメールでやり取りするにつけ、やはり抗がん剤治療を始めるにあたって再出血の際の延命拒否を条件とする…つまり延命拒否を明らかにしない限り、抗がん剤を始められないという主治医の話にはどうしても納得できないということで、意見が一致。
そこで、やはりセカンドオピニオンをとろうということになりました。
しかし日赤のがん相談室で聞いたところセカンドオピニオン用の資料を準備するのに2〜3週間の準備が必要とのこと。相談先の病院への申し込みと同時進行くらいでちょうど良いという話です。できるだけ早くとりたいので、早く相談先(転院先になる見込み充分)を決めようと、朝から家事(本日は父の食事の用意のみ)の合間にネットに釘付け。救急で駆け込む際のことを考えると、やはりがんセンターよりもまず杏林大学付属病院に行ってみようという気持ちに傾いています。

母の勧めもあり、今日は病院へは行かず、夜は英語教室へ行ったのですが、そこのマネージャーさんの話でも、杏林は評判が良いとのこと。母の主治医の話をすると、それは変えた方が良いのでは?…という意見をいただきました。

しかし、明日は午後から母の病室を準備するための片付けがあり、金曜日は午前中にベッド搬入。そして急きょ申し込んだ無料相談室の予約が13:30〜14:00。がんセンターに勤務していたベテランの医師が、話を聞いてくださるそうです。
その場所が銀座で、相談を終えてから日赤へ退院手続きをしに行くわけで、セカンドオピニオン申し込みの時間がとれるかどうか…。
月曜日になってしまいそうです。

ヘルパーさんの助けがあるにもかかわらず、さすがに今日は疲れぎみ。
夕方1時間ほど仮眠をとって、大急ぎで夕食の支度&風呂のお湯張り(浴槽の栓をして蓋を載せ、ボタンを押すだけだけれど)。18:20頃に出かけて、帰りに荻窪ルミネで日誌用のノートを購入しました。
日誌は、Tさんに「日記を付けると良いよ」とのアドバイスを受けてのものです。これまでヘルパーさんとの連絡ノートと自分用のメモ(あちこちに書いてバラバラ)以外に、ちゃんとした日々のできごとを記入するために、母の好きなバラの模様のキャス・キッドスンのジャーナルノートを買いました。半年、1年どころか、もっともっと生きてもらえるように願いをこめて2冊。

帰宅は21時半になっていたでしょうか。父はもうベッドの中。特別ルールでダリの食事を先に出し、自分の食事を終えると、もう片付ける気力も残っていませんでした。母はもっと疲れていたんだろうなと思うと、本当に申し訳ない思いです。

父の食べ終えた食器が流しに運んであり、父なりにがんばって気を使っていることは(本当は当然のことなのですが…)わかります。テレビが付けっぱなしだったのも、「消せなくなった…」というのを聞くと、気の毒で攻める気持ちなど起こりません。リモコンがうまく使えなかったのか、クッションの下にもぐりこんだリモコンが探せなかったのかでしょう。
しかし洗面所の蛇口からお湯が出しっ放しなのには、よくあることとてやはりため息が。そして、とりあえず一旦2階に引き取ろうと見回すと、浴室のカランからもお湯が滔々と…。
さすがにため息を通りこして、正直脱力してしまいます。
病気(脳梗塞の影響か、うっすらと認知症の気配があるので)のせいだろうとはわかっていても、たった数時間でも置いて出かけられないのかと思うと絶望的な気持ちになります。

今晩は徹底的にサボッて、シンクに洗い物を放置して、寝てしまおうかな。
ほんと、疲れました。

2011年8月30日火曜日

うれしい急展開

09:23

昨日の面談は、13:00のアポにKちゃんも無理して時間を合わせてくれたのに、始まったのは14:30。主治医が手術というから、これはしかたがないけれど。
ともあれ、話が始まると、「治らない」「首から下全身に転移」「リンパ節も肝臓も膵臓(胆嚢だったか?)も、さらには静脈にまで浸潤」と、状態の悪さをこれでもかとダメ押しされました。
が、先生の手元の説明書には、●抗がん剤 ●支持療法 の2項目が。
2択ってこと?
木曜日には、出血コントロールのためのバイパス手術はもちろんだけれど、抗がん剤もやったところで、3カ月の余命が1カ月程度伸びるだけかもしれないし、かえって縮める結果になるかもしれないという話だったのでは?
しかもいつの間にか余命が「平均半年」という前提になっている?

そしてTS-1(現在とてもポピュラーな抗がん剤)を投薬することで、余命が平均1年に伸びると。
そしてさらに、なんとこのまま順調に快復(決して治るわけではない…と釘刺しつつ)れば、今週末には退院と!?

よく「心に暖かいものが広がる」みたいな言い方を本で見かけるけれど、とまどいながらもそんな感じでした。

ただ、ひとつ気になったのは、もし再出血した場合、今度は内視鏡施術でクリップすること、輸血をすることはできない。それを承諾してからでないと、抗がん剤治療を始めることができないと。


Kちゃんが、「それ(承諾)は義務なんですよね?」とツッこんでくれたのですが(さすが、私と違って理路整然!)、要は患者である母のためというより、物的(輸血用血液)人的(医師・看護士などの手間)リソースを、治る見込みのない患者に割くことはできないという病院というか医療現場の事情らしい。
いわゆるトリアージということらしいのです…。
昨日は、「次回の診察までに考えておいてください」と言われましたが、ちょっとひっかかっています。
それもあり、セカンドオピニオンをとる予定。
がんセンターに行こうと思っているところ。
http://www.ncc.go.jp/jp/ncch/consultation/secondopinion.html

今日は午後遅めにちょこっと行ってきます。
退院時の相談もあるし。



2011年8月29日月曜日

同じ時間

0:41am

母の具合が悪化していなければ、きっと見ているだろう韓国ドラマ『トン・イ』を、家でいつものようにダリにブラシをかけながら見ていました。背後のソファには母がいて、床に座り込んでダリにブラシをかけながら、私もよくお相伴にあずかって見ていたドラマ。せめて病室の母と同じ時間が過ごせるような気がして。

明日もやることは山積みなのについ夜更かし。
母も夜更かし気味だったのだけれど、気持ちはよくわかります。
昼間は父の世話がなにかと中心で、気が休まらないのだから、せめて父が寝室に引き取った後は、自由な時間を楽しみたいのです。

父も悪気はないのですが…だからこそ困る。
つい可哀想になって言いなりになっていると、こちらはどんどんストレスがたまる。
今日の外食のとんかつだって、母も何度か、しかたなく食べていたんです。
きっとその時すでにがんがあったんだろうに。辛かったろうに。
この時間になっても、私の胃はもたれています。

明日、医師との面談に同席したいようなことを言っていましたが、耳が聞こえないので悪いけれど家にいてもらいます。父なりに母を思っているのだろうし、可哀想だけれど。
そう、この可哀想に引きずられていると、こちらはヘトヘトになるから。

明日すること
●ゴミ出し
●ヘルパーさんの事務所の方の電話番号を携帯に入れておく
●母に指示されたモノをカバンに入れておく
●母に指示された通り、『イ・サン』の解説本をガラス扉の本棚にしまっておく
●父をリハビリのデイ・サービスに送り出す
●昨日の洗濯もの取り込む
●病院へ電話(面談の時間確認→Kちゃんに伝える)
●ヘルパーさんと顔合わせ
●病院へ

とくに電話は大切。忘れないこと。

2011年8月28日日曜日

自覚症状

19:55pm

今帰宅。
予定通り、帰りに外食。
父の足と駐車のことを考えるとやはりデパートで、となると吉祥寺の東急しかなく。
私はとてもじゃないけれど揚げ物を食べる気分ではなかったので、和食にしたかったし、父には「和食屋さんに行くつもり」とその旨言ったのだけれど、レストランフロアについたらとっととトンカツ屋の方へ。
はぁ〜。
こういうところ、ほんとうにうんざりする。
思い込みを軌道修正できない。というよりわがままで身勝手。
彼なりに母のことは心配しているのだけれど。
私だって母の歳だったら胃がんになっていたかもしれない。

あ、今思いついた。父にはひとりでトンカツ屋に入らせて、私は別のお店に行けば良かったんだ! 次はそうしよう。注文くらい(メニューの当該部分を指で叩くという、ものすごく感じ悪い注文のしかただろうけれど)ひとりでできるはず。

そして肝心の母は、昨夜、睡眠薬をもらったおかげでぐっすり眠れたそうです。
一昨々日(吐血した当日、木曜日)の夜と一昨日の夜は、体中がチクチクとして眠れなかったと。「気持ち悪い」としか言っていなかったのに、そんな痛みもあったなんて…。
「ナースコールをすれば良かったのに」という私に、「それを思いつかなかった」と。
それだけ混乱して追いつめられていたのでしょう。
夜中ついていてあげたかった。

そんな夜を過ごしたからか、明日の月曜日、担当医との面談があることを打ち明けると、母は「3カ月ももたないと言われるかも」と。
全身にがんが広がっているのが自分でわかるんだそうです。
今日は落ち着いていて、お茶も少し飲んだそうで、もう少しすると食べることもできるようになると聞き、それは本当に嬉しいのですが…。

そして在宅ケアの意識を聞いてみると、「今はとてもそんな気になれない」とも。
自覚症状がある…つまり辛さがあるというのがやるせないです。

もう少し安定しますように。
そして、少しでも楽に、1日でも長く生きられますように。

まだあきらめるべきではないのか?

11:30

●洗濯一部終了
母がまとめて洗うつもりで、小さなバケツに溜めていたスリッパとダリ用ぞうきんを浴室で洗濯。そのついでにふと浴室の排水溝を見ると、それほどひどくはないものの髪の毛や湯垢(というかヘドロ状の何か)が。浴槽と床は私が洗っていたけれど、ここは母がやると言っていた場所。ひどくならないうちに、熱湯と酸素系漂白剤でできる限りきれいにしておきました。

●庭に水まき
母の愛する庭の植物たち。きっとあきらめていると思うので、スリッパを干すついでにせめて水やりを。いつか、半日でも帰ることができたとき、あまりに無惨な庭を見せたくないから。それにしてもトマトがほとんど樹木のように育って、ジャングルみたい! ゴーヤもすごい勢いです。

●洗濯機におまかせ
普通の洗濯物を洗濯機に放り込んでスタート。幸い、父の下着に失敗の跡がなかったので、まとめて洗えます。ありがたや。

少しでも時間が空くと、ついネットでがん情報を調べてしまう。
いくつものサイトを見て、少しずつ勉強しているものの、なかなか追いつかない。
ここは今日初めて見つけたところ。
http://2nd-opinion.jp/index2.htm

治療不能と言われても、せめてQOLの改善のためにも、少しでも苦しみの少ない時間を1日でも長く過ごしてもらうためにも、未承認薬だって使いたい。そのためには病院側からの提案を待っているだけじゃだめなんだ、ということに今さらながら気づいたのです。
これまでは標準治療を知り、その知ったこと以上に悪い現実を宣告され…の繰り返しだったので、光がぜんぜん見えませんでした。
おまかせじゃダメ。
急いで勉強しなくては!

さて、そろそろお昼ご飯の支度です。

水が飲めるように!

09:00am 今のところさわやかな晴天。秋晴れのよう!

じつは、もう二度と口から飲食できないのではないかと、絶望的な気持ちになっていたんです。
けれど、昨日行ったら、150ccずつだけれど、水かお茶を飲んでも良いことになったと。
トイレもベッド脇のポータブルトイレを、看護士さんの介助で利用できるようになっていました(あ、これは一昨日からでした。いまだに私の方が混乱しています)。
良くなることは決してないとはわかっているのだけれど、それでもうれしい!

ただ一方で、一昨日の夜から37℃台の熱があり、あまり眠れなかったと。一昨々日(吐血した25日)の晩も気持ちが悪くてあまり眠れなかったというので、心配。
昨日は、Kちゃんと私がいる間に検温があり、38℃台になっていました。だるそうで、つらそうで。
また、腰が痛いというのも、骨に転移したのでは恐れています。母は「ずっと寝ているから…」と言うけれど。


昨日はiPadはとりあえず見送り。母には今ある携帯メールも負担かもしれないので。
ヨドバシに寄り、予定していたポータブルDVDプレーヤーと延長コードを買い、病室に設置。リモコンのボタンや表示が小さくて複雑なので、母には操作が難しいかもしれません。メーカーも、もう少し考えて欲しかった。でも、無事に『イ・サン』の録画DVDを再生できました。
ヘッドフォンの方は、電源が近くになく、接続できなかったので、今日は電源分配器を持って行かなくては。

ただ、テレビを見る体力がつくかどうかという心配もあり。
また、「テレビがよく見えないの」という母に「画面に光が反射しちゃうからね」と答えたものの、視力にも何らかの影響が出ているのでは…とも。
一昨日(27日・金)Kちゃんがいるときに、母が「小さい虫がいるのよ〜」と言い、何度も目の前の虫を追うような動作をしているのにも、内心ドキリとしました。早くも脳への転移が始まり、せん妄が起きているのかと。
幸い、Kちゃんが「あ、ほんとだ。ここに!」と応じ、虫が実在することがわかって密かに胸を撫で下しました。


ともかく、今日はまた父も行くというので、これから以下のような予定にします。
●父の朝食片付け
●せっかくの晴天なので、少し洗濯
●昼は、今日こそ冷や中
●少し遅めに出発
●晩ご飯は外食

…こんな感じでどうだろう?
父に確認してみなくちゃ。
行ってみたら、誰か来ているかもしれないけれど。

いつものごとく、階下の父が大きな声で「ダリ、ダリちゃん、おいで」と繰り返しています。
基本、ダリは父の言うことは聞きません。母の言うことはとてもよく理解するけれど。
大きな声って聞く方はストレス。
出す方も疲れるはずなんだけれど、耳の遠い父は疲れないみたい。

2011年8月27日土曜日

今日やること

パパの朝ご飯の片付け。お昼の用意。
お昼と晩は何にしよう?
ママが時々、「毎日メニューを考えるのが、もうめんどくさくなった」と言っていたっけ。
なにしろパパは好き嫌いが多いので。
最近好みが変わったようだし、前ほどいやな顔はしないけれど、好きじゃないメニューだと機嫌が悪くなる。こういうのって、やる気を削がれるし、免疫力も持ってかれる気がする。

いいや。あまり好きじゃないのはわかっているけど、昼は冷やし中華にしよう。
私はママほど甘くないのだ。

で、夜は…もしKちゃんがまた来て一緒に食べてくれるなら、また帰りに三浦屋で何か買って帰っても良いな。生協からたくさん食材は来ているのだけど、まだ把握しきれていないから。
…と、冷蔵庫の中のことを考えていたら、なんとかなりそうな気がしてた。
●ひじき団子
●冷や奴→お吸い物とかぶるので、ごま豆腐にしよう
●グリーンアスパラの何か(ルクエで蒸すか、トースターで焼く?)
●豆腐のお吸い物
ごはんが足りないので、仕込んで行こう。

今日はこれから…
1.パパの朝食後の片付け(薬は飲んだか?)
2.ママが好きなイ・ビョンフン監督の時代劇を見られるよう、パパが前に使っていたヘッドホンを探して、持ってゆくカバンに入れる
3.冷や中作る(きゅうり・錦糸卵・ヤキブタ)
4.冷や中片付け
5.ごはん仕込み
6.出発
7.途中、ヨドバシに寄ろう(買って行きたいものがあるので)

8.あ、手のアロママッサージってどうだろう? どこかに強すぎない香油あるかな?


10:50am
2.完了。
3.の冷や中は、中止。パパが今やっと朝ご飯を食べ終わったので、お昼はパンを置いてゆくことにする。パンなら早めに出られるし。
5.完了。

出発目安は11:30。シャワー浴びたい。

妹を産んでくれてありがとう

あれから父と病院へ。着いてみたら、従兄のHさんと奥様のMさんの声が。
昨夜、母の長姉であるおばさまに電話。その息子のお嫁さんMさんにも電話。包み隠さずほぼ全てを話してしまいました。
ショッキングなお話なのは充分すぎるほどわかっているけれど、どう言い繕って良いのかわからないから。私自身もまだ受け止めきれていないし、そんな余裕もなく。ありのまま以外、どう言えば良いのかわからない。
とくにおばさまにはひどいショックを与えてしまったけれど、いずれわかることだからしかたがない。
それでもここ数年、時折行き来させていただいているHさん夫妻は、何でも手伝うからと優しい言葉をかけてくださり、しかも、今日、もう来てくださるなんて。

父には筆談で、転移していて治らないこと、3カ月持つかどうかという余命であることを伝えてあり、理解はしているようだし、ショックは受けているはずですが、あまり表情に出ていません。以前だったら精神的におかしくなる心配すらある父だったのに。これもうっすらと認知症ぎみになっているせいなのかもしれません。
母がベッドから手を伸ばし、父の手を握ろうとしても、握り返しはするものの、それほど感情を剥き出しにするでもなく。
まだ良くなるとどこかで思っているのかもしれません。

私がみんなの飲み物を買いに(母はいまだ点滴のみ・飲食不可状態)病室を抜けて、廊下を歩いていると懐かしいシルエットが。涙を浮かべた妹のKの顔を見ただけで、また泣き出してしまった私。どちらが姉だかわかりません。ふたりでつかの間涙にくれて、一旦また病室へ。
ほんとうにKちゃんがいてくれてうれしい。
一人っ子だったら、どんなに寂しくて心細くて怖かっただろう。
ママ、Kちゃんを産んでくれてありがとう!
Kちゃん、産まれてくれてありがとう!

母の状態は、まだ意識もはっきりとして、話もできるし、ベッド脇のポータブルトイレもナースの手助けで使えるようになっていました。
が、昨夜、吐血はおさまったものの、下から出てあまり眠れなかったというのです。母によれば昨日の出血の残りが出た…という話でしたが、実際はもっと悪い状態…腸からも出血が始まった…ということでないとは限りません。

これまで医師と話をするたびに、こちらの覚悟を嘲笑うかのようなはるかに厳しい宣告を受けてきました。
そして今日、私だけ小声でナースに呼ばれ、月曜日に担当医から話があると告げられたのです。
怖い。とても怖いです。
その話し合いの際、母に同席してもらうか、それとも私だけで聞いた方が良いのか、という打診です。
良い話ならそんなことは聞かないはず。
3カ月どころか一週間さえもたないと言われるかもしれない。

疲れたという父を、H夫妻に送っていただき先に帰し、Kとふたりで自宅へ。
久しぶりでのKとの食卓に、母がいないのがなんとも辛く切なく。
それでもKが来てくれてほんとうにありがたかった。
そして、忙しいのに月曜日、一緒に話を聞いてくれると。
ありがとう。Kちゃん。
ママ、Kちゃんを産んでくれて、こんなに優しい子に育ててくれてありがとう。
Kちゃんを彼女のマンションへ送って、今帰り、これを書いてたら日付が変わってしまいました。
今日もKちゃんが来てくれるそう。
今晩こそはママがゆっくり眠れていますように。

2011年8月26日金曜日

今日持って行くもの

私は両親をパパ・ママと呼びます。いい歳をして、恥ずかしけげもなく。小学校の3年で担任になった先生が、あまり感じの良い人ではなく…。私たち生徒に親の呼び方までとやかく言っていたのです。「日本人なんだから、パパ・ママではなくお父さん・お母さんと呼びなさい」と。子供心に、家庭の中、家族同士の間のことを支配されるようで不愉快だったので、その先生への反発もあって、今も堂々とパパ・ママです。

●ママのノート類
1.雑記帳
胃がんと診断されてから、私への申し送りとしてさまざまなことを書いてくれているもの。ふわふわと優しいのに、こんなところはとても気丈。私の何倍も人間として上等な人です。最初の方は俳句ノートとして使っていたため、いくつも俳句が残っています。いずれ句集を作ってあげようと思っていたのに。今からでも間に合うかも、いや間に合わせよう! 他の俳句ノートも持って行こう!

2.アドレス帳
去年2010年のものと今年のもの。今年のものはかわいらしい小花模様。母はこういう柄が大好きです。そこに載っている連絡先を見るにつけ、母が日々、どれだけたくさんのことに心を砕いていたかを思い知らされます。

3.スケジュール帳
月によっては、ちょっとした日々の雑感を記しているものも。庭の植物たちへの愛も伝わります。

●パジャマ
サッカー地の水色のチェックのもの。

●基礎化粧品
あまりかまわない母ですが、それでもきれいにしていようという心持ちを見習わなくては。

●スリッパ
何を持ってゆこう。ほんとうは新しい、かわいらしいものを買ってあげたい。少しでも立って歩けるようになるのでしょうか…。なって欲しい。ほんの少しでも。

私が思いついたもの
◎カップ
口を湿らすことしかできなかったのだけれど、そのための水を入れるにも、プラスティックの使い捨てではなく、花模様のジノリのカップを持って行ってあげたい。

◎携帯の充電器
そうそう! これを忘れてはいけない。でもどこにあるんだろう? 探さなくちゃ!


これから少し荷物を詰めたら、昨日の汚れ物を下洗い。時間があれば洗濯機をかけて、父の昼食の用意。といっても、昨日買って来た京樽のお寿司(おいなりさんとか卵巻きとか)にインスタントのお吸い物。好物の漬け物は我慢してもらうことになるかも。

昼前には車で病院へ。
途中でiPadを買おう。母が触れるように。テレビ電話、できないかな。できるように2つ買う? お金ないけど、もう貯金降ろす!
そう、銀行へ寄って定期を崩そう。
それで少しでも母との時間が良いものになるなら、1日でも長く生きてもらえるなら、かまわない!

10:00amにケアマネさんとヘルパーさんの事務所の人がきてくれて、打ち合わせ。
初めて、わが家にヘルパーさんに入ってもらうことに。
それもけっこうな頻度。介護保険でまかなえる分と、自費の分。
何をお願いするか、まだこちらの状況がはっきりしていないので、というか、むしろ私の頭がこんがらがっているので、迷惑をかけないようにしなくちゃ。

パパが急に今日病院へ行くと言い出したので(昨夜はオレが行っても何の役にも立たないからといったいたんだけど…)、急きょ予定変更。
さらに、妹のKちゃんが激務の間を抜けて、午後病院に来てくれるそう。

みなさん、本当にありがたい。
昨日はパニックだったけれど、ケアマネのNさん、ご近所のみなさん(本当に親切な言葉をたくさんいただきました)の暖かさ、頼もしさで、少し、母との時間を少しでも充実させられるよう、歩んで行けそうな気持ちになってきました。

2011年8月25日木曜日

涙が止まらない

朝7時前。
階下の母が私の枕元の携帯にコール。
ちょっときて欲しいと。
ただことではないと思ったけれど、ここまで惨いことになるとは。
気持ち悪いとという母にポリ袋を渡して背中をさすっていると、吐血。
断続的に200〜300ccほども吐いたでしょうか。
呆然としている私に、母が病院へ連れて行ってと。
私の運転で行こうか、救急車を呼ぼうかなどと、この期に及んで事態の深刻さを受け止められない私に、「救急車で」と母。
我に返り、119で救急車を呼びました。
情けない娘でごめんなさい。

病院に着いてからも吐血は続き、緊急で内視鏡検査と治療に。
胃がんが胃の動脈に穴を開けるまでになってしまったための吐血でした。
内視鏡でその穴をふさぐ施術をしてもらった後も、しばらく胃にたまっていた血を戻す状態。
ようやく…昼頃だったでしょうか…吐血は止まり、赤血球の急激な低下のため輸血。
ようやく少し落ち着いて、話もできる状態になりました。

痛みがないようなのが救いです。
が、今日の段階ではまだ口から飲食ができません。
口を湿らせてあげられるだけです。

介護1の父と愛犬のダリを残して来たので、私は本日は帰宅。
途中、父のリハビリでお世話になっているケアマネージャーさんのところへ。
わが家の事情をよく知っている彼女のあたたかで頼もしい言葉に思わずこらえていたものが。肩を借りて、嗚咽をあげて泣いてしまいました。

いえ、その時だけでなく。今朝から…いえ、先日、主治医に会ってから、いつでも、いつまでも、涙が出てきます。
突然、人生をもぎ取られようとしている母。
突然、母をもぎとられたわが家。私たち家族。
ダリが寝る時間になって、母を探している様子に胸がしめつけられます。

明日はほんの少しでも、母が口から飲むことができるようになっていますように。